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2006年 02月 04日
2005.01.10 深夜1時、インドに着いた。 久々のインドの空気を、十分堪能しないまま、移動する。 明日からすでに、トレーニング開始だから。。 朝起きると、約束の時間どうりに、先生が待ってた。 私の先生、3歳の子を持つ母、見るからに肝っ玉母さん風の彼女。 ずっと年上だろうっと思ってたけど、年下だった。(んーインドでは、本当に 年齢を当てるのは難しい。。) 彼女は、ピッタ(火のエネルギー)の頭の鋭さを持ちつつ、カパ(土のエネルギー)の忍耐強さも兼ね備えた、先生にしては理想的な体質の人だった。 そして彼女の手は、いつも暖かかった。セラピストは、母のような気持ちで、子をいたわるように相手に触れることっと話す彼女は、実際、母でありその慈愛深い思いが 手に流れてて、伝わった。 マルマについても教えてもらった。 マルマは、鍼灸のツボに似ていますが、体のもっと、広い範囲に存在します。それは、単なる物質的な位置だけでなく、生命力が蓄積されたり流れたりする、プラーナ(気のエネルギー)の流れをよくする、エネルギーポイントでもあります。 人の体には、107もの主要なマルマが存在します。 日々、英語での授業に、、頭にある脳細胞というものを総動員して すごしていった。 そんな濃い日々が流れる中、町のサンダルウッド工場に行った。 サンダルウッドオイルが買いたかったからだ。 実際見てみて、あまりにも貴重なものと分かり、手が出なかった。 サンダルウッドの原木から、チップにして、(この段階ですでにいい香りがしてる。)そこから、抽出していく過程を見て、あの大きな木からごくごく少量の オイルしか取れないことを知った。 お礼を言って、サンダルウッドのお香をたくさん買って後にした。 この町はサンダルウッドで有名で、このお香の質もかなりよかった。 暑いインド、冷やす作用のあるサンダルウッドは最適だった。 またサンダルウッドの香りは、知性も覚ますといわれ、ヴァータ(風のエネルギー)の乱れによる、心の不安定さも鎮めてくれる。 これからの、旅の癒しのおともになった。 濃い日々の3週間あまりが、あっという間に過ぎ、夜行バスで、今夜フォトコーチンへ、向かうことにした。 みんなに、お礼を言ってこの地を後にした。 #
by miushanti
| 2006-02-04 23:00
2006年 02月 04日
2005.02,01 夜行バスで。バスで、フォトコーチンに着いた。 南に、下がってきたッという感じで急に、ムッと暑くなった。 昼まで、ホテルで休んで、涼しくなる夕方に出歩いてみることにした。 夕方、浜辺は、人々で、にぎわっていた。 アラビア海の夕日に照らされる中、色とりどりのサリーの女性が歩いている姿は、本当に美しかった。 歩いて、ホテルに戻る前に、道端の店で休憩していた。どうも、アグニ(消化の火)の調子がおかしい。。5日ほど前から、消化の火が、かなり弱い。水分しか受け付けない。。いろいろハーブで調子を戻そうとしたけど、なかなか戻らない。 連日のトレーニングと長距離の夜行バスの移動で、ヴァータ(風のエネルギー)がみだれたのだろう。。ヴァータが乱れると、すべてのドーシャに影響が出るという。そこから、ピッタ(火のエネルギー)に影響し、アグニの調子まで、おかしくなってきてる気がした。 ヴァータは、ドーシャの王様である。それほど、ほかのドーシャに、影響を与える。地質、気候的には、カパといわれる日本も、現代人の生活は、不規則で 忙しく、睡眠も短く、コンビニでできた時間の経ったものを食べたりと、ヴァータの乱れる状況になりやすい環境である。 それゆえに、気をつけないと、ほかのドーシャも乱れてしまう。。 そうして、ぼーっと道を眺めてたら、<こんにちは>と久々の、日本語が聞こえた。 50歳代の男性で、最初かなり警戒して話していたが、私と同じ時期に日本を離れてきた彼は、外国人に興味津々でHello-って遠くから話してくる、子供達にhello-っと無邪気な笑顔満点で、大きく手を振っていた。 いろいろ話していくうちに、彼の人柄の深さと、興味深い話に、話し込んで いくことになった。 彼は、アーユルヴェーダーの治療を受けに来ていた。喘息を持病に持つ彼は、 かねてから興味のあった世界最古の医術を受けるべく、今回2ヶ月インドに きたという。縁というのは不思議なもので、以前インドにいたときは、一人もこういう方に出会わなかったが、今回は偶然にも彼にお会いできた。私のインドに来てる目的を話し、私は、アーユルヴェーダー医に今は、悪いところなくて患者としては何もする必要はないといわれたので、患者としてのT氏の体験に、すごく興味があると伝えると、快く今してる治療など話してくれた。 今は、7日間のマッサージの、中盤で、ヨガのようないくつかのエクササイズ と、呼吸法を、毎朝するようにとのことで、実践しているとの事だった。 今のところ、まだそれほど変化が見られてはいないけど、私が興味深く 聞くもので、その後の様子など、帰国後、手紙で教えていただけることになった。 その後もいろいろ話すうちに、わたしは、一瞬、沢木耕太郎氏に出会ってしまったのかと思った。ちょうど、ほぼ同じルートで、ユーラシア大陸を横断してたと話す彼は、実際は沢木氏の5年ほど前に、偶然にも似たルートで旅をされていた。彼との話は、その人柄の深さが、伝わるものだった。1年以上旅してたわたしは、これほどしっくりと、しっくりと、あの頃の事とか、いろいろな思いを話せた人物は初めてだった。 また、インドに対する思いも深く、インドの深い面について、話してたりしたら、結局、バスの終電まで話し込んでいた。 お礼を言って、貴重な時間を、持てた事に感謝した。 #
by miushanti
| 2006-02-04 22:13
2006年 02月 04日
2005.02,02 コチは、イギリスに占領された歴史もあり、18~19世紀のヨーロッパ文化かなり入ってきた町だった。ここに向かうバスの途中から、バスのあちこちに教会が見られた。そして、ここフォトコーチンの町には、18~19世紀のヨーロッパ調の建物が今も残る。 私が泊まってる、この格安の宿も、古きヨーロッパの調度品などが、備わっていた。 宿の切り盛りしてるのは、家族で、お父さんはいつもボーっとしてたが、体格のいいお母さんの方が、ほとんど切り盛りしてた。 宿にアーユルヴェーダー治療院の、パンフレットを見つけた私は、早速お母さんの方に聞いてみた。 仕事がら、肩から背中がすっかり、硬く凝ってたので、そろそろ受けてみたかった。 電話で予約すれば車で迎えに来てくれるとのことで、電話して待ってると、時間どうりに来てくれた。 まずは、状況を見て決めよう。。 アーユルヴェーダートリートメントは、かなりプライベートなものだから、 受けるかどうか、慎重に見極めたいものである。 車で着くと、男の人5,6人と、セラピスト女性2人が、こじんまりした 治療院にいた。 ドクターと名乗る方に、肩~背部の凝りのことを話しなら、彼の知識や経験を聞きつつ、きちんとしたドクターかどうか、いろいろ会話した。 こういう場所には、ドクターとマネージャーがいるから、できたら両方の 人と話すのが、ベストのように思う。 それから、マッサージ台のある部屋も見せてもらった。 事前に自分が受ける部屋をみておくと、その後の安心度が全然違う。 こちらの部屋は、一応鍵もかかる感じで、ドアもしっかりしてた。 問題は、なさそうな感じだったけど、なんとなくフィーリングが合わない 感じだった。ここでどうしても、受けたいっていう気持ちにならなかったので、見学という感じになって、宿に戻った。 彼らは、快くまた来てねーっという感じで、送ってくれた。 まだ真昼の太陽に、照り付けられる中、夕方まで本屋さんで過ごすことにした。 洋書からヒンズー本からヨガ、アーユルヴェーダー関係の本、ケララ観光局が出してる写真集まで、インド文化を中心にさまざまな本が置いていた。なかなかインドの本は、絵が妙にリアルでかわいい。 そうこうして、読みふけってるとすっかり夕方になった。 だいぶん涼しくなり、海辺沿いの道に涼みに来た。もうたくさんの、人々が友人や家族とともにぞろぞろと散歩に集まっていた。 そんな中、カラスがたくさん飛んでいる。 アラビア海のインドの海には、かもめでなくカラスが本当に良く似合う。 アラビア海の夕陽をバックに、カラスの漆黒ガ飛ぶ中の、サリーの鮮やかな色彩が映えた。 そうしてボーっと風景に見とれて座ってると、7歳くらいの真っ黒な澄んだ瞳の女の子が、きれいなしっかりした発音の英語で大きな目をくりくりさせて 私にいろいろ話しかけてきた。 私が遠くから、ここに来てる事ににすごく興味を持ったこの女の子は、私の家族のこと友達の事、今してる事とかをかわいい大きな瞳でペラペラの英語で、じっと見つめながら聞いてきた。女の子は、美容院を開いてるお姉さん夫婦と、お兄さん、両親と祖父母大家族でここに来ていた。 一人一人紹介してくれて、<いまは、学校に行ってるの、友達100人いるの>と話す彼女は、本当にキュートで学校でも人気者の感じが十分に分かった。 ケララは、インドでも教育水準が最も高く、英語も歴史的背景から、結構幅広いかたがたが、自由に流暢に話されてる。 彼女の英語も、発音がきれいで、話してるとこちらがとても勉強になる。単語もいろいろ教わったりした。 そんな感じで、話してると、お姉さんがチャイと、新聞紙にくるんだ炒ったピーナッツを持ってきてくれた。 お礼を言って、食べながら、ピーナッツの新聞紙で、折り紙のように鶴を作って、女の子と遊んでると、もうあたりは日が沈んで、暗くなっていた。 お姉さん夫婦が、家に夕食食べに来てっと招待してくださったが、アグニの調子もまだ今ひとつで、残すと悪かったのと、明日もっと南のアーユルヴェーダー病院に朝早くいく予定をしていたので、お礼を言ってお別れした。 本当に素敵な家族だった。 #
by miushanti
| 2006-02-04 21:30
2006年 02月 04日
2005.02,04 オートリクシャーで、15分ほどで大通りから、小さな道に入っていくと、ドクターピライ氏の病院が見えた。こじんまりした病院で、数人の人々とスーツを着た小柄の眼鏡をした50歳代の男性が立っていた。 前日に電話してたので、その男性から先に近よってきたので、ピライ氏と分かった。ナマステと両手を合わせて挨拶を終えると、穏やかに微笑んでくれた。 ピライ氏は私の恩師、イナムラヒロエシャルマ先生のインドの大学時代の先生でもあり、又、ピライ氏は、グジャラートアーユルヴェーダー大学で、イナムラ先生の夫であるシャルマ氏の生徒であった不思議なつながりがあるため、安心して訪れる事ができた。 まずは、診察室手前の待合室に飾られてるアーユルヴェーダーの神ダンヴァンタリにお香を供えて祈りを捧げる。横にはピライ氏の父の写真もあった。 ピライ氏の家系は代々続くアーユルヴェーダー医の家系であった。 現在彼の息子さんは、この病院を引き継ぐべく学校に通われている。 こうやって、伝統が引き継がれていく事はとても素敵な事だと思う。 部屋を案内されて、患者さんと同様の個室にしばらく滞在できる事になった。 荷物をまとめてると、ピライ氏が日本語の雑誌を持ってきた。 今は廃刊になってるが、日経げんぱくの雑誌で以前それと同じものを、イナムラ先生から頂いてた。インドのアーユルヴェーダー病院を取材したドキュメントで、ここインドでは、ピライ氏という名前の方は、クリシュナ氏という名前の人がたくさんたくさんいるように山のようにいて、てっきり違う人物だと思ってたらこのピライ氏だった。 驚いて、顔の雰囲気も違ってるっと話してると、<そりゃーもう10年近く たったからねっと>笑っていた。 病院もこの雑誌の写真では、オイルまみれの薄暗い部屋だったが、今は新し新築したばかりで、快適な環境だった。 診察室と処置室は以前の建物を使っていて、患者さんの滞在するお部屋は、新築で一階はすでに使われてるが、二階はまだベットも搬入されてなく準備中だった。 普通の安めの宿に比べると、ずっと快適な感じだった。 しばらくここで滞在させていただく事にした。 #
by miushanti
| 2006-02-04 20:39
2005年 02月 04日
2005,02,05 今ここに、入院されている患者さんは両側軽度麻痺の女性、7日間のスペシャルな薬草をくるんだピンダスヴェーダーの治療受けている。 ほかには、片麻痺で痛みの残る患者さん。 糖尿病で足に神経障害の残る患者さん。 腰のヘルニアの患者さん。 パーキンソン氏病の女性は、自宅から通われていて、元西洋医学のドクターの彼女は、いつも2人のやさしい息子さんたちに付き添われて車で来られていた。 そして驚く事にアルコール依存症で、振戦症状のある患者さんにも、薬用オイルが効くとのこと。 期間は患者さんによってケース、バイ、ケースで長い患者さんは、45日以上かけてそれぞれに、先生がオーダーされた薬用オイルでそれぞれのトリートメントするそうだ。 朝9時頃、ピライ氏がまず入院している患者さんを一人一人訪れる。 それから外来の診察。もうすでにこのときに並んで待たれている。 2時まで診察したあと、すぐ近くの自宅に帰りお昼の休憩を取られてから 夕方5時から遅い時は9時頃まで診察されていた。 日本の病院並みの忙しさだ。。 合間合間の機会をねらって、ピライ氏に聞きたい事をききにいっていた。そうやって、様子をみていると、患者さんたちがドクターピライ氏を慕って、信頼して来られている事が伝わった。 ここにはほかに、男性のセラピスト3人働いてる。、げんぱくにも載っていた、初老のとても凛としてて素敵なセラピストと、私と同じ年のセラピスト、バブーと、いつもカメラを持ってるとポーズを作り撮ってっと近寄ってくるチャーミングなおじさんセラピスト。。 そして女性セラピスト2人と、先生の指示した薬草やオイルを調合する薬局に女性一人が働いている。ドクターと、患者さんの許可を得てこれから、薬草類の準備やマッサージの様子を観察、研修させていただけることになった。 #
by miushanti
| 2005-02-04 19:36
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